【特集コラム】バレンタインデーと教育

 バレンタインデー

2月14日=バレンタインデーという形が日本で定着したのはいつの頃からなのでしょうか?そもそも、バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にまで遡り、キリスト教との関係が深いとのことですが、日本では1960年前後から始まり、日本の高度経済成長、チョコレートの普及に関係が深いようです。阪神御影駅前にバレンタイン広場というところがあり、日本のバレンタインデー発祥の地は、神戸であるという話も聞きました。今では、日本のチョコレートの年間消費量の2割程度がこの日に消費されると言われるほどの大イベントとして定着し、かつ独自の進化(友チョコ、逆チョコ、自己チョコ…)を遂げています。

バレンタインデーと関係が深い、チョコレート。その原料であるカカオの生産現場では、児童労働が問題になっています。西アフリカのカカオ生産における児童労働の調査では、コートジボワールだけで約13万人の子どもが農園での労働に従事しているそうです。カカオ農園は小規模な家族経営である場合が多く、子どもが家族の手伝いとして働いている場合もありますが、1万2000人の子どもが農園経営者の親戚ではない子どもだったそうです。また、農園経営をする家庭の子ども(6~17歳)の3分の1は、一度も学校に行ったことがないとも言われています。その中には「何らかの仲介機関」によってこの職についている子どももいて、他国から誘拐され奴隷として売られて強制的に働かされているという報道もあります。子どもから教育の機会を奪い、しっかりと賃金も支払われず、その場から逃げ出すことも容易ではありません。もちろん、カカオ産業、各国の政府やNGO団体などが、児童労働に対する行動をとるようになってきているのも事実ですが、まだまだ教育を受けられない子ども達、貧困から抜け出せない子ども達が数多く存在するのも事実です。

 教育格差

そんな2月14日バレンタインデーの新聞には、「低所得世帯の約7割が塾通いを断念」といったタイトルのニュースが掲載されました。「子どもの生活と声1,500人アンケート」(※1)子どもの貧困対策センター公益財団法人「あすのば」)の中間報告がニュースソースです。 「今までに子どもが経済的な理由で諦めた経験」を保護者にたずねた結果において「塾・習い事」が68.8%ともっとも多く、「海水浴やキャンプなどの体験」25.3%、「お祝い」20.2%、「部活動」14.3%、「進学・就職」11.9%と続いたそうです。一方、「経済的な理由で諦めた経験はない」という回答は14.0%にとどまりました。

厚生労働省が、’17年にまとめた報告書によると、日本の子ども(17歳以下)の相対的貧困(※2)率は13.9%(’15年)でした。これは、日本の子どもの約7人に1人が相対的貧困状態にあることを示しています。単純に40人学級では、5〜6人がこの相対的貧困状態であると考えられます。’14年のOECDのまとめでも、日本の子どもの貧困率は、先進国34ヶ国中10番目に高い数字でした。「子どもの貧困」の問題は、例えばカカオの生産現場における搾取による貧困など、海外だけの問題ではありません。また、子どもが置かれている経済状況と、子どもがその時点で達成している学力、健康、虐待に遭う確率、非行になる確率など多くのウェル・ビーイング(well-being)の指標において関連があるということ、子ども期の貧困経験と成人となってからの生活水準にも関連があるということがわかってきています。

これまでに良く話題に上ったのが、親の収入と高校卒業後の進路の関係です。親の収入が高いほど、4年制大学の進学率が高まり、就職などの割合が減ります。例えば、年収400万円以下では、4年制大学に進学する割合は31.4%ですが、年収1000万円以上だと、62.4%と約2倍となるそうです。大学進学へのための、 奨学金などの制度があるものの、大学進学というひとつの結果については明らかに家庭の経済状況に影響されています。

今では社会人になってからの学び直しとも言うべき制度が整ってきているので、高等教育への進学だけで教育格差を語るのは少し偏っている気がします。義務教育段階における学力格差の方が深刻です。OECDが世界57カ国の15歳児を対象として行った「OECD生徒の学習到達度調査」(以下、 PISA調査)では、親の社会経済階級(職業と職業上の地位で分類)と、子どもの学力には明らかな相関があり、この格差は拡大傾向にあります。その拡大は、階層の上の子の点数がよくなっているからではなく、階層の下の子の点数が大きく下がっているからだそうです。日本の子どもの学力が低下しつつあるということは、これまでメディアでもよく報じられてきていますが、どのような層の子どもたちの学力が落ちているのか?’03年と’06年のPISA調査の結果を比較すると、一番学力の高かった上位5%の子どもたちはほとんど成績が変わっていないのに対し、それ以下の子ども達はいずれも成績が下がっています。一番下の5%の子ども達の平均点は、40点も下がっています。この調査は、15歳児(日本における義務教育の最終年齢)を対象に行われており、専門家は「調査の内容がそれほど高度なものではなく、学習塾に通ったり 、家庭教師などをつけなければいけないような内容のものではない」と指摘しています。

 体験格差

と言うことで、やはり公教育、公的資金の教育への投資が重要になってくるのだと思います。私たちの様な民間教育事業者やNPO、NGOなど非営利セクターにおいても教育格差の是正に取り組む必要性を感じていますが、民間企業が行う教育事業は、公教育に比べると表面上のコスト(家庭の負担)が高くならざるを得ません。教育バウチャー(私立学校の学費など、学校教育に使用目的を限定したクーポンを支給することで、子どもが私立学校に通う家庭の学費負担を軽減する私学補助金政策)が、日本では近年、塾、予備校、習い事、文化活動、スポーツ活動などに利用可能な制度として浸透し始めています。この教育バウチャーは、一部の自治体、民間団体が取り組んでおり、まだまだマイナーな制度です。私たちのような民間教育事業者が行う事業(社会教育、生涯学習の類)では、利用されにくいのが現実です。経済的な理由で「海水浴やキャンプなどの体験」を25.3%の家庭が諦めていると言う結果から考えると、体験格差も是正していく必要があるのではないでしょうか?

Essential Educationの現場では、講師からの一方通行の指導・説明ではなく、様々な体験の中から、参加者本人が気づき学んでいくことに重きをおいています。それは企業研修でも、学校教育・社会教育支援でも同じです。「どのような体験をしたか?」「気づいたことは何か?」「そこから何を学んだか?」 「では、次にどうしていくか?」と、体験を “ふりかえる” ということを通し、学びを深めています。そして、 “知識” や “技能”を支える “人間力” の育成が、Essential Educationのめざすところです。それは、自分らしく後悔ない人生を創造する力を育むことです。自分らしく後悔ない人生を創造するとは、夢中になれるモノ、一生をかけて成し遂げようと打ち込める分野を見つけ、その分野で目標を設定し、それに向け、チャレンジを繰り返しているようなイメージです。そのプロセス、またそこから生み出されたモノや事によって、組織、社会、コミュニティの発展に貢献する事です。

Essential Educationの現場では、子ども達から社会人まで様々な年齢層の人々と関わりがあります。そこで感じるのは、体験格差=教育格差と言う事です。残念ながら、今の公教育の中では、社会が求めている、生きるチカラ(自ら考え行動する力、課題発見・課題解決力)や、社会に出てから通じるチカラ(一歩前に踏み出し、失敗しても粘り強く取り組む力、疑問を持ち考え抜く力、多様な人々とともに目標に向けて協力する力)は育まれそうにありません。知っている事、わかっている事の量や質が個人によって違うこと、差があることが教育格差と見られがちですが、もう一つ、それを実践できる、試すことができる場があるかどうか?その意欲やチカラがあるかどうか?にも格差があります。知っている事、わかっている事の量や質の差よりも、こういった“人間力”の差、それを身につけるための体験格差の方が実は深刻なのだと思います。

オックスフォード大学のカール・ベネディクト・フレイとマイケル・オズボーンによる試算では、「アメリカにおいて10~20年内に労働人口の47%が機械に代替可能である。日本では、10~20年後に、日本の労働人口の約49%が就いている職業において、人工知能やロボット等に代替することが可能である」とのこと。また、米デューク大学のキャシー・デビッドソンによる予測では、「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」とされています。この辺りが、’20年の大学入試制度改革の後押しをしている言説です。

現在の教育は、19世紀末から基本的な構造が変わっていないと言われています。それは、大学で専門家を養成することを頂点とし、必要な知識や技能を段階的に小学校から積み上げていくという仕組みです。しかし、職業が安定したものでなくなるとすれば、教育システムは大きな変化を迫られることになります。アメリカの教育関連ニュースサイトでは、大学生が今まで存在しなかった職業に就くためにどの専門を選ぶのが有利かを考え始めていることが報じられており、コミュニケーションやチームワークなど「転移可能な一般的能力」を重視するようになっているといわれています。

 このような時代だからこそ本質的な教育を

このような時代に “人” は何をするのでしょうか?もしくは、何ができるのでしょうか?とかく時代の最先端という結果に目がいきがちですが、その最先端を開発する “人” や、その時代を生きるために必要な “力” を育むことが出来なければ、一時的には力がある人・ない人の格差が広がり、やがては人類が衰退していくことになります。どれだけロボット化・AI化が進んだとしても、変わらないことは我々が “人間” であるということです。これからの時代に我々人間がより人間らしく生きるために、多くの人が新たな時代を創造していく力をつけるために、Essential Education=自分で自分を成長させる力を育むことが必要です。本気になり、自分自身と向き合う機会の中での気づきこそが学びとなり、人間は成長していくことができるのです。これがEssential Educationがめざす “人間力” であり、後悔の無い人生を創造していくための力になっていくはずです。 


※1「子どもの生活と声1,500人アンケート」

2016年度に「あすのば入学・新生活応援給付金」を受けた住民税非課税世帯・生活保護世帯・社会的養護のもとで暮らした経験のある子ども(高校1年・大学1年)と保護者を対象に実施したもの。調査期間は、2017年10月31日~12月18日。有効回答数は、子ども547人、保護者959人の計1,506人。母子家庭が8割を占めている。世帯の勤労年収中央値は、手取りで139万2,000円。児童手当や児童扶養手当、生活保護などの諸手当を含めた総年収中央値は、202万9,500円。世帯人数の中央値は3人だったため、貧困線(211万円)以下での暮らしが浮き彫りとなっている。

※2 相対的貧困率

貧困の定義の一つ(もう一つは「絶対的貧困」)。世帯の所得が、その国の全世帯の所得の中間値の半分に満たない状態のことを意味します。つまり、その国の文化水準、生活水準に比して、適正な水準での生活を営むことが困難な状態のことです。たとえば、日本では高校の進学率は90%を優に超えていますが、そのような状況のなかで、経済的な理由により高校へ進学できない状態は貧困であると言える。

この記事を書いた人

鈴木 浩之(Hiroyuki,SUZUKI)
有限会社エッセンシャルエデュケーションセンター Sales&Promotion担当マネージャー。
大学卒業後、世界的冒険教育機関であるOBSの指導者コースJALT受講、その後、OBSインストラクターへ。OEC、国立青少年教育振興機構、市議会議員等を経て現在に至る。1971年静岡県出身。

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