忖度(そんたく)によって成り立つ研修?

世の中には、様々な研修やセミナーがありますが、「こう答えた方が良い」「こんな反応が求められている」「周りに合わせた方が良い」そんなことを感じながら(でも言い出せず)研修を受講していることはないでしょうか?

受講者それぞれにはそれぞれのバックボーンがあり、育ってきた環境も違います。そもそも人それぞれ感じることや考えることは違うはずなのに、答えが最初から決まっていたり、同調圧力があったりと、自分の思いや意見を押し殺して悪い意味での忖度が働いている…。れは研修やセミナーに留まらず、日常の中でも同じような状況かもしれません。

また、その忖度によって(表面上は)成り立っている研修やセミナーも数多くあるように感じます。そこから本当に個人や組織の成長は望めるのでしょうか?過剰な忖度や同調圧力はストレスの要因や多様性の阻害、自発性を奪っていきます。

■ 勝手に忖度する方が悪い?

確かに、どのような状況でも自分の思いや意見を発信することが出来れば良いのでしょうが、現実的には、中々打破することが難しい状況があるのも事実だと思います。(特に日常の関係性の中では、一歩踏み出しづらいものです。)

また同時に、研修やセミナーを提供する側も、過剰な忖度を求めている訳ではありません。幼い頃からの積み重ね、また今の環境がそうさせているのです。(このあたりは後日詳しく)

■ 忖度なき状況 

私ごとですが、先日、仕事の先輩に2泊3日で厳冬期の八ヶ岳に連れて行ってもらいました。雪山を12時間歩き続け、氷の滝を登り、極寒のテントで生活をする。圧倒的な自然です。寒さで手足の感覚が無くなっていき、疲れで力が入らなくなっていく。決して楽な状況ではない。むしろ、かなりハードな状況です。

では、なぜ進んでそんな所に行ったのか?それは、素直に自分に向き合える(向き合わざるを得ない)からです。自然は一切忖度してくれません。どんなに寒くても私の都合で暖かくなることはないし、どんなに疲れていても山が平らな道になることもありません。

私自身が「こう振舞った方が良い」と自分を偽った所で通用しない。実際に2泊3日の中で、逃げている自分も弱い自分もいたし、意外と踏ん張っている自分もいました。(あと単純に “生きている” という動物的実感もありました。)それは日常では中々向き合う事が出来ない素の自分です。

第4次産業革命、機械がどんどん人間の代わりになる今だからこそ、時には素の自分と向き合う事が必要ではなないかと思います。

素の自分が何を感じて何をしたいのか。不必要な忖度なく、人が素直になれる環境。

EECでも、そんな機会を提供していきたいと思います。

この記事を書いた人

田中 翔紘(Shoko,TANAKA)
有限会社エッセンシャルエデュケーションセンター代表取締役。
幼少期からアルペンスキーの選手として活躍。高校卒業後、単身アメリカColorado Mountain Collegeへ留学。スキー選手として世界を転戦しながら、野外教育を学ぶ。スキー選手を引退後、弊社代表取締役に就任。1986年兵庫県出身。

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