気になること 〜オンラインコミュニケーション〜
2021.01.14
2021年、令和3年がスタートして既に2週間が経ちました。
この2週間で、緊急事態宣言が次々と出され、我々が拠点を置く兵庫もその対象となりました。いろいろな面で “自粛” が求められています。
この1年、人と会うこと・話すこと、コミュニケーションがオンラインにシフトし、コミュニケーションが再定義されました。
以前より、“言葉” が耳に残る、時として “言葉” が突き刺さる逃げ場のない感じがします。今回は、オンラインコミュニケーションで気になることについて、書こうと思います。
オンラインの功罪
“功罪” というと少し大げさかもしれませんが、いい意味でも、悪い意味でも集中せざるを得ない状況が、オンラインにはあります。オフライン、オンラインの会議の場面を比較してみます。
オフライン:ある特定の場所(会議室、喫茶店、ホテルのロビーなどなど)に集まる、そこまで移動する時間が必要、多くの視覚情報、聴覚情報(会議に不要な情報も)が混在する…
オンライン:ネットワークに繋がりさえすれば場所は問わない(自宅、移動中の車内、屋外などなど)、会議のために移動する必要はない、視覚情報・聴覚情報が会議に関することに限定される…
私は、オフラインの会議で、(会議で話される中身、メンバーにもよりますが…)時には立ち上がったり、ストレッチしたり、ぼーっと窓の外を眺めたり、会議に参加していない人も含めて、周りの人の表情や仕草から心中を慮ったり、お茶を飲んだり…「会議に集中してる?」と思われるような態度をとっていることが多いような気がします。そのことで不快な思いをされている人がいるならば、そこは反省しなければならないと思います。
しかし、集中していないわけではないのです。特に「何かを決める」「アイデアを出す」「何かを分析する」会議では、このような態度で臨んでいることが多かったように思います。勝手な話ですが、誰かが同じような態度で会議の場にいたら、「会議に集中してる?」と思ってしまうとも思います。
私にとって、オンライン会議のしんどいところは、『視覚情報・聴覚情報が会議に関することに限定される』ところです。先程、並べた会議での “態度” は、私にとって、適度な意識分散、空想、思考の整理、俯瞰することで雰囲気を掴むなど、会議に集中しているからこその “態度” なのですが、なかなか理解されないでしょう。少数派かもしれませんが、同じ様にしんどい思いをしている人がいるように思います。
気になる言葉と仕草
最近、オンライン会議、オンラインセミナー、テレビやラジオなどの番組で、耳に残る、気になる言葉があります。それは、同意の意思を示すために使われる「おっしゃるとおり」という言葉です。
例えば、「私は〜と思いますが、〇〇さんはどう思いますか?」と投げかけられた時、それに応える形で「おっしゃるとおり」という言葉が、頻繁に使われています。オフラインの会議や議論の場面では、あまり使われていなかったのか、耳に残っていない(気にならなかった)のか、今となっては検証できませんが、オンライン会議、オンラインセミナー、テレビやラジオなどの番組(オンライン出演している人がいる)で、とても気になるのです。同意しているようにみえて、それに続く発言が同意しているようには思えないという場面にも多く出くわしています。「おっしゃるとおり」という言葉は、発言のバトンを受け取りましたというサインのような使われ方をしているのかもしれません。
逆に、最近はそういう姿を見ないなぁという “仕草” があります。自分は、気づくとそうしていることが多いのですが、誰かがそうしているところを見なくなったなぁというのは、「宙を仰ぐ」という仕草です。漫画などで頭上に雲のようなフワフワの吹き出しで、考えていること、内なる会話が書かれているようなことがありますが、それをみるかのように視線を上に向けて、ある意味ぼーっとしているような仕草です。(これを書きながら、気づくと「宙を仰ぐ」自分がいました…)癖の部類かもしれませんが、この仕草、オンラインでは「集中していない」と判断されるかもしれません。
なぜ気になるのか?
「おっしゃるとおり」という言葉、「宙を仰ぐ」という仕草。なぜ、気になるのか?そこに、コミュニケーションの再定義のヒントがあるように思います。
例えばZoomで「スピーカービュー」や「スポットライト」という機能があるように、話している人に視覚的、聴覚的に優先権が与えられます。みんなでワチャワチャと話すということが、オンラインでは実現できません。話の途中で割り込むことは、オフラインではできましたが(その事自体が良い、悪いということはこの際、横においておきます。)、オンラインでは技術的な面も相まって、ネガティブな行為です。オンラインでは、発言がぶつかると、譲り合うことが暗黙のルールです。オンライン上のやり取りを経験している方は、多かれ少なかれそのような経験があるのではないでしょうか?議論が整然としていて、白熱する感じ、盛り上がる感じに欠けるというのは、古い感覚であって、再定義されるべきところでしょう。「おっしゃるとおり」という言葉が気になるのは、話す人、聞く人がクッキリ分かれるところに対する違和感です。
オンラインでは、話している人を見るという行為は、話している人が映っている画面をみるという行為になります。カメラとモニターが別れているので、視線が合うということはありません。これまでは、目を見て、話を聞くという行為が是とされてきましたが、ここも再定義されるべきところでしょう。話を聞く時は相手の目を見ることが、そもそもオンラインでは実現しないのだから、「宙を仰ぐ」という仕草も許容されてもいいような気がします。勝手な言い分ですかね。
近い将来、カメラとモニターを一体化(画面自体がカメラであり、モニターでもある)する技術が開発されると思います。もしかしたら、私が知らないだけで既に実現しているのかもしれませんが…。それが普通になった時は、これまで以上に「話を聞く時は相手の目を見るべき」という圧が高まるのかもしれません(自分にとっては、あまり望ましい未来ではありません…)。
オンラインコミュニケーションに慣れる
期せずして、コロナウイルスの蔓延によって、オンラインコミュニケーションが主流になりました。感染症対策として始まったこの流れですが、人はその便利さを知りました。知らない人と出会う、話す機会は格段に増えました。ワクチンが世界の隅々まで行き渡ったり、特効薬が開発されたり、ニューノーマルがノーマルになったりすることで、コロナは収束(あくまで終息ではなく…)するでしょう。しかし、これまでの日常は戻ってこないと思います。特に、コミュニケーションで括られる多くの行為、考え方はガラッとその姿を変えると思います。研修・教育の世界でも、講師と受講者、先生と生徒、受講者同士、生徒同士のコミュニケーションは、今までの感覚では語れなくなってきます。コミュニケーションをテーマにした研修や授業の内容も然りです。
コミュニケーションと言うと自分を軸に考えた時、対人コミュニケーションと同義になりがちです。しかし、“コミュニケーション”には、自分とのコミュニケーション(私達が大切にしている部分です)や、社会・環境・情報とのコミュニケーションという側面があります。対人コミュニケーションは再定義され、自分とのコミュニケーションや、社会・環境・情報とのコミュニケーションは先鋭化、個別化して行きます。
杓子定規に、コミュニケーションは「こうあるべき」という研修や教育は、全く役に立ちません。コミュニケーションに限らず、いろいろなモノ、概念、価値観は再定義、先鋭化、個別化していく中で、大衆受けするようなモノ、概念、価値観は淘汰されていくでしょう。そもそも「大衆受け」という概念、尺度自体が、過去に追いやられていくのかもしれません。有形商材、無形商材に関係なく、規格、パッケージ商品、大量生産、大衆向けモデルから、フルオーダーメイド、注文を受けてからの企画・製造、数量限定の少量生産、オールフラッグシップ…という感じになっていくのではないでしょうか?
そんな未来を想像しながら、オンラインコミュニケーションのしんどさを沢山の人と共有したいなぁと「宙を仰ぎ」ながら、この記事を一旦、保存します。
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投稿者プロフィール
- Sales&Promotion担当マネージャー
大学卒業後、世界的冒険教育機関であるOBSの指導者コースJALT受講、その後、OBSインストラクターへ。
EECの前身であるOECに参画、国立青少年教育振興機構「中央青少年交流の家」、市議会議員を経て現在に至る。
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