あなたの“当たり前” ≠ 私の“当たり前”

皆さんはこれまで「あの子一人でいるから、声をかけて仲間に入れてあげて。」と、誰かにお願いされたり、お願いしたりした経験はありませんか?

この背景には「一人は寂しい事」、「みんなと一緒にいる方が楽しい」という価値観や、「自分がしてもらって嬉しいと感じた経験」を他の人にもしてあげようという思いなどがあると思います。

でも、“あの子” は、本当にそれを望んでいるでしょうか?

“当たり前” の違い

もし私が “あの子” だったとしたら…。私は、一人でいる事が好きで、一人でいることが苦にならないので、「一人は寂しい事」、「みんなと一緒にいる方が楽しい」というスタンスで声をかけられると、きっと戸惑うと思います。(もちろん、みんなと遊びたいけど自分からは声がかけられない、声をかけて欲しく、それを待っている “あの子” もいると思います。)

先日、高校生の研修のふりかえりで、『グループで活動をしている時に、他人任せの人がいること』が話題になりました。そんな他人任せの人について、どう思うか、どう感じるかを尋ねてみると、「他人任せの人がいても別に構わない」、「やりたい人がやって、やりたくない人は無理にやらなくても良い」、「そうしている方がお互い居心地が良い」などの応えが返って来ました。

その真意は、「やりたくない人を誘って、うっとうしがられるのがイヤ」、「わざわざ声かけるのは面倒」、「本人がやりたいんだから任せれば良い」など様々でした。

一般的には、“他人任せ” というとネガティブな印象がありますが、彼らの発言にネガティブな印象はなく、「高校生の素直な気持ち」だと感じました。

課題を与えられたグループは、メンバー全員が同じ方向を向き、一人ひとりが本気になってその課題に取り組んでいく。また、早く達成できたり、結果の質が上がったりすることで、メンバーの居心地も良くなっていく…というのが、私自身の “当たり前” でした。しかし、彼らの “当たり前” は違うのかもしれません

前述した、「あの子一人でいるから、声をかけて、仲間に入れてあげて」も、 “当たり前” が違っていれば、された本人にとっては、単なる押し付けになってしまう危険性があるのです。

世界平和の可能性

この仕事をしていると、年間数百人の方とお会いします。その際、自分の “当たり前” と、相手の “当たり前” が違うという前提に立って、相手に対して自分の当たり前を押し付けたり、自分の枠組みだけで相手を見たりすることのないよう、細心の注意を払おうと改めて思いました。

もっと相手の枠組みや価値観などを教えてもらうというスタンスで関わっていくことで、世界はハッピーに輝き出す。

この記事を書いた人

副島理恵子(Rieko,SOEJIMA)
有限会社エッセンシャルエデュケーションセンター EE事業部ディレクター。長崎純心大学在学中は、社会福祉の分野を専攻しながら、野外教育の指導ボランティアを経験。大学卒業後、本格的に野外教育の世界へ。1989年長崎県出身。

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