教育ニューノーマル

コロナウィルスに関する緊急事態宣言が全国で解除されました。学校の休校も終わり、街に子どもたちの声が戻ってきました。「第2波」を警戒しながら、日常を取り戻していきたいものです。

 緊急事態宣言の解除とともに、新しい生活様式・習慣という意味で「ニューノーマル」という言葉を耳にすることが多くなりました。

 そもそもこの用語は、2007年〜2008年にかけての世界金融危機(リーマン・ショック)の頃に流行したバズワードです。それまで異常とみなされていたような事態が、構造的な変化が起きた結果として「新たな常態・常識」になって来ることを意味するそうです…。

これから先、どうなる?

 まだ、総括するには早いとは思いますが、“記録” として投稿したいと思います。

 「ニューノーマル」とは何なのか?いろいろ調べてみると前述のリーマンショックの時「ニューノーマル」は、第二の「ニューノーマル」だったようです。

 本格的なネット社会が到来した2000年代始め、ネットの普及によって、従来の常識が通用しない、「収穫逓増社会」「限界費用ゼロ社会」が第一の「ニューノーマル」だそうです。収穫逓増社会?限界費用ゼロ社会?これらの言葉の意味、よくわかりませんが、テクノロジーの進展によって生産性、コストの考え方がそれまでと変わったということのようです…(あとで調べてみます)

 そして今回、第三の「ニューノーマル」は、非接触、分散化、清潔・抗菌、巣ごもり環境を整えることなのだそうです。この辺りを、これまでの研修・教育に当てはめ、この先どうなるか?を少しだけ考えてみたいと思います。

熟考するべきこと

 先日のミーティングで、「ニューノーマル」がデメリットとなるもの、しかし、逆手に取り熟考し対応すれば、メリットに転換されることは何かを考えました。その議論の一部を、これも記録として投稿します。

 企業での集合研修、学校での合宿などにおいて起こりうる状況を「ニューノーマル」に照らしてみると、相部屋、食事、バス移動、集合対話、身体接触、物の使い回し等については、考えなきゃならないですね。内部要因です。

 しかし、この辺りはオンラインでできることをオンラインでやれば、解決することが多い気がします。そのための設備や仕組みにある程度の投資をする必要はあるかと思いますが、第二の「ニューノーマル」はこの辺りの考え方に影響を与えています。

 次に、コロナによる外的環境の変化について、経済は一先ず悪化する=研修・教育予算の削減が考えられます。本当は、こういう時にこそ “人” に投資することが有効だと思うのですが、真っ先に削減される気がします。

 学校では、カリキュラムの消化(個人的には、詰め込みだと思いますが…)ということが起こりそうです。すでに土曜日授業、夏休みの大幅短縮などが決まり始めています。9月入学(7月卒業)の議論も、ここにきて一気に萎んでしまったのは残念です。このバタバタした時に進めるものではないといった意見が多いですが、何もできなかった時間は、未来から前借りしてきたもの。子ども達や学生にとって、かけがえのない時間は、詰め込むだけでは返って来ないと考えるのは、エゴでしょうか…。

 企業や学校で起こることは「ニューノーマル」という文脈とは少し違って、これまでのノーマルを取り戻す、追いつくということだと感じます。

今こそ “人” への投資を

 前段で挙げた外部環境の変化。ここ3ヶ月ほどの空白をなぜか年度内に埋めようとしているように感じます。

 よく考えて下さい。この “コロナ禍” で突きつけられたのは、先の見えない状況を、自分なりに分析し、(新たな)目標を立て、それを自分なりに評価し、制約がある中でも思い切って行動する力が求められていたのです。これまで言われてきた “生きる力” であったり、“レジリエンス” であったりが、組織や個人に「あるかないか」によって、明暗が別れてしまったと思うのです。また、多様性についていかに寛容であったかも同時に試されていると感じます。人間の本質部分に多くの課題が突きつけられました。

 自分達に寄せて考えすぎと思われるかもしれませんが、 “生きる” というど真ん中の課題、本質的課題を突きつけられたのです。それを “人間力” と置き換えると少しだけ違和感がありますが、それをどう身につけていくかを世の中全体が追求していかなければいけません。

 なかなか目に見えるものではないので、投資しずらいのかもしれません。測れないので、身についた実感や達成感がないのかもしれません。すぐに成果が得られるものでもないので、余裕がないと敬遠されるものかもしれません。

 しかしです。もっとも大切なところ(大切だと思われるところ)に力を注ぐのが、実は一番の早道であるのです。この道は、一見すると遠回りに見えてしまうことが難点ですが、今の流れは、対処療法的、同じ過ちを繰り返してしまうような道だと思われます。

 人間の本質部分に働きかける教育、人材育成が必要なのだと感じています。どうか多くの人が、遠回りをせずそれぞれの幸福にたどり着いて欲しいと心から願っています。そして、そのお手伝いができれば、それが私自身の幸福であることも付け加えておきます。

教育ニューノーマル時代

 今まで非常識と思われていたことが、これからの常識になることもあります。これまで「必要だ(必要になってくる)」と言われていたことが、より実感を伴って迫ってくる、自分ごとになってきます。先に挙げた “生きる力” や“レジリエンス” もそれです。しかも、それは何か形のあるものが与えられる(習得、獲得する)のではなく、“自分なりの” という冠がつくのがこれからの教育「ニューノーマル」時代だと思います。

 何か形のあるものが与えられる(習得、獲得する)のが、教育だという価値観が通用しない。それ自体を自分自身で創造する、紡ぐ、形づくる…。つまり、ある人にとっては正解だけれども、別のある人にとっては必ずしも正解だとは限らないということ。

 この時代を、生きづらいと感じるのか?面白そうと感じるのか?そこから教育「ニューノーマル」時代がスタートしているのかもしれません…。

この記事を書いた人

鈴木 浩之(Hiroyuki,SUZUKI)
有限会社エッセンシャルエデュケーションセンター Sales&Promotion担当マネージャー。
大学卒業後、世界的冒険教育機関であるOBSの指導者コースJALT受講、その後、OBSインストラクターへ。OEC、国立青少年教育振興機構、市議会議員等を経て現在に至る。1971年静岡県出身。

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