オンラインではどうしても辿り着けないところ

 緊急事態宣言が解除され、多くの学校が通常運転を再開しました。それに伴い、私たちの “学校教育事業” も再開されました。

 学校に伺って行う『人間力向上プログラム』も2ヶ月遅れで再開されました。ソーシャルディスタンス、マスク、アルコール消毒、換気などなど感染症対策に注意を払いながら…。

 そして、教室という空間を共有しながら、オンラインを使ったグループワークも行いました。我々にとっても、学校にとってもチャレンジングな取り組みでしたが、オンライン、オフラインそれぞれの良いところがブレンドでき、ハイブリッド研修の可能性を感じました。

 今回は、ハイブリッドなら何とか、オンラインでは「どうしても辿り着けないところ」について、投稿したいと思います。

オフラインで何が大切だったのか

 オンラインでは、辿り着けないけれど教育、成長にとって大切なこと。それは何なのか?そもそもそんなところがあるのか?という思いがグルグルと頭を巡っています。

 恐らく、体験を伴う研修・教育などの現場では、教育、成長にとって大切なことを “体現” はしているのだと思います。しかし、言語化(視覚化)されないとなかなか伝わりません。

 一方、言語化(視覚化)することで、誤って伝わってしまう、伝えたいことが言語化した途端に陳腐に感じられるという課題も孕んでいます。

 人間が現在の言語能力を得たのは4万年前だと言われていますが、人間のコミュニケーションは、言語能力を獲得したことによって、身体的なつながりから、脳と脳のつながりになっていったそうです。

 この辺りのことは、社会学であったり、人類学であったり、心理学であったりで説明されているのを目にしますが、オフラインでの体験に魅力であったり、効果であったり、必要性を感じていた理由が、この “身体的なつながり” “身体性”にあるのではないかと感じました。

 五感を使った身体的な共感や、同じ経験の共有が、特に視覚と聴覚以外の感覚を他者と共有することで、言語でのコミュニケーションだけでは超えられないところがあるようです。

“体験” がもたらすものは

 例えば「痛い」という言葉を聞いたり、読んだりした時、「痛いんだなぁ」とは思うのだけれど、「痛み」は感じません。しかし、目の前で転んだ人を見た時、思わず「痛っ」と言葉が出てしまったり、目を背けてしまったり、顔をしかめてしまったり…結構な濃度で「痛い」という感情、「痛み」自体がこちら側に転移します。

 我々の野外での研修場面だったら、「暑い」とか「寒い」とかという言葉が、リアリティを持ってその場に広がります。「暑い」「寒い」という言葉を(別の場所で)聞いたり、読んだりした時のそれとは全く別物です。

 また、4mの壁をグループで乗り越える『ウォール』という活動。土台になった人が発する「重い」という言葉。目の前で土台になっている人を見ていれば、自分は土台になっていなくても、その「重い」という感覚がヒシヒシと伝わってきます。

 “体験” がもたらす、そのあたりのことが大切なんだと思います。それがオンラインではなかなかたどり着けないところです。

コミュニケーションにおける“身体性”

 ある “体験” の場面、課題解決の実習の場面で、あるメンバーが「こうやったらいいんじゃない」というアイデアを思いついたとします。

 実際に目の前に課題がある、それは概念ではなく造作物であったり、道具であったり、実物です。そして、頭を突き合わせて、いろいろ考えたり、悩んだり、実際に動いていろいろ試したりする自分、チームが実在する…。

 あるメンバーが「こうやったらいいんじゃない」というアイデアを思いついた時、その背景にどんな思いがあるだろう?

 「何とか貢献したい」(意欲)、「でも失敗するのは嫌だ」(心配)、「アイデアを伝えた時、みんなどんな反応をするだろう」(不安)「ここで発言したらチームの流れを止めてしまわないか」(遠慮)などなど、こういった背景、内面、感情の機微が、コミュニケーションにおける “身体性” に見えます。

 これが、オンラインでは起こりにくい、伝わりにくい、自覚しにくいというのが現状で感じているところです。

 withコロナの時代、オンラインコミュニケーションが主流になると、内面に目が向かなくなる、伝わらなくなるのは、単純に好ましくないと思います。

なぜ “身体性” が大切なのか

  オンラインでのコミュニケーション、そこには “身体性” に制限がかかります。例えば、前段の「こうやったらいいんじゃない」というアイデア。

 それを伝えたい、伝えなければという熱量が高まらない、思いついたとき・伝えようとした時に起こる内的・外的な葛藤が起こりにくい、また継続しない。「伝えない」・「伝わらない」ことを自分の中で正当化してしまう空気や仕組みがある…他者とのコミュニケーションだけではなく、自分自身とのコミュニケーション(自己対話・自己内観)でもそれは言えると思います。

 そもそもなぜ “身体性” が大切なのか?そこには色々な考え方があるかと思いますが、ざっくり言うと人間は一人では生きていけない、脳みそだけで生きているわけではない、この二点が “身体性” を大切にすることにつながります。社会性、人間関係構築力、倫理観、自己実現力など、まさに生きる力を身につけ、自分らしく豊かな人生を送るために 頭だけではなく、身体全体、五感を使って “体感” すること、“身体性” を伴った学びが、必要なんだと思います。

 私としては、この辺りを言語化、視覚化していく努力、伝える努力をこれからも続けると同時に、感染症対策・環境対策としてのオンラインの活用、オンラインでの “身体性” の追求などなど、考えただけでもワクワクする課題が目の前にあります。

 「とりあえずやってみる」ことが大切だと聞きます。特性的にそこが苦手な私…。でも今回、この記事を書きながら、頭だけではなく、身体全体、五感をフルに使ってインプットもアウトプットもしていかなければいけないなと思いました。

 「〜ねばならない」と言う捉え方、動機は本来、好ましくないとは思いますが、身体全体、五感をフルに使ってやってみれば、いつの間にか捉え方、動機も「〜したい」に変わってくるのかもしれません。

この記事を書いた人

鈴木 浩之(Hiroyuki,SUZUKI)
有限会社エッセンシャルエデュケーションセンター Sales&Promotion担当マネージャー。
大学卒業後、世界的冒険教育機関であるOBSの指導者コースJALT受講、その後、OBSインストラクターへ。OEC、国立青少年教育振興機構、市議会議員等を経て現在に至る。1971年静岡県出身。

コメント

  1. […]  前回のブログ『オンラインではどうしても辿り着けないところ』で、なぜ、私たちが “体験” にこだわってきたのか、身体性という視点でふりかえってみました。今回も、“体験” の意味を考えていきたいと思います。 […]

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