『マニュアルを越える』

2019.02.20

お知らせ

 ある日、ファミリーレストランで仕事をしていました。その時、いかにも “マニュアル通り” といった様子の方の接客が気になりました。今回は、その方の接客を見ながら、ふと考えたことを書いてみたいと思います。

“マニュアル通り”で思い出したこと

 最近、小学生や中高校生が亡くなったというニュースをよく目にします。

 その中で、「いじり」と「いじめ」を見抜けずに(言い換えて?)自殺に至ってしまったケース、虐待によって子どもを死に至らしめたケースが報道されていました。

 その現場には「いじめ対応マニュアル」、「児童虐待対応マニュアル」、「自殺防止マニュアル」などがあるはずです。もしかするとそのマニュアル通りに対応されていたのかも知れません。しかし、起きてはいけない事が起きてしまっています。

 ニュース番組の中でコメンテーターは、「いじりといじめの違い」を解説をしていました。実際には先生が生徒との距離を縮めるために生徒を「いじっていた」ことが、本人は「いじめ」だと感じていたという話題になっていました。「いじめ対応マニュアル」では、想定外のケースでしょう。

マニュアルが全て?

 マニュアルは大切ですが、万能ではないと思います。特に接客など、人を相手するマニュアルは、内容を理解し実践できる事を前提として、実際には、それを超えていかなければいけないと思います。

 前述した事から例えると、マニュアルは基本として備えている。それにプラスして、その生徒やクラスに合ったより良い形にブラッシュアップするというイメージです。

 しかし、相手に合った形を見極めるには、過去の体験・経験が大きく影響してくると思います。例えば自分と他者との間で、どこまでが “いじり” で、どこからが “いじめ” なのかというのは、幼い頃から友達とのケンカや仲直り、新しい友達を作ることなどを通して養っていく “感覚” だと思います。

感覚を養う

 そんな感覚を養うには、“リアルな体験” が必要なのだと思います。自分と他者、自分と自然、自分と物、自分とお金、自分と社会、自分と自分…など。

 成功や失敗、嬉しさや愛おしさ、悔しさや悲しみといった繊細な感覚を養うのに、やはり “リアル” に優るものはありません。(だからと言って反社会的なことも何でも体験した方が良いということではありません。)

 これから私が関わる全ての人から、リアルな体験を奪わず、リアルな体験から、その人の人生の糧になる経験に繋げられる、そんな場を提供できる仕事がしたい改めて思いました。

つぶやき

 こうやってブログを書いていると、前回の記事と似た様な事を書いていることに気づきます。もっと違うテイストの記事を書きたいなと思いつつも、私自身の軸が少しずつですが言葉になってきている様な気がします。

 自分と向き合い、文章を綴る、自分の言葉で語る意味がブログを書くことで自分自身に落ちてきます。ブログを書くことは正直シンドイですが、悪く無いかも知れません。

投稿者プロフィール

副島理恵子
副島理恵子
EE事業部ディレクター

大学在学中は、社会福祉の分野を専攻しながら、野外教育の指導ボランティアを経験。大学卒業後、本格的に野外教育の世界へ。

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