コロナ禍、時代のハザマ

 新型コロナウィルスに対する “緊急事態宣言” が出されて、一週間が経過しました。皆さんの生活はどのように変わったでしょうか?

 仕事がしたくてもできない、学びたくても学べない、スポーツや文化的な活動も制限され、会いたい人に会うこともはばかられる…。その影響の濃度は、人それぞれだとは思いますが、全く影響を受けていないという人はいないのではないでしょうか?

 亡くなられた方々にご冥福をお祈りするとともに、感染され現在、治療の過程にある方々にお見舞い申し上げます。そして、一日も早い終息を心から願っています。

コロナ疲れ

 それぞれが外出を自粛し、お互いの社会的距離を気にかけたり、感染してしまった人や外で遊ぶ子どもたちが攻撃されてしまったりといった様子を見聞きしていると、緊急事態が解かれたとしても、人と接することに抵抗を感じてしまうのでは?と不安になる自分がいます。

 この状況が “コロナ禍” と表現されるように、どうしてもネガティブに捉えてしまいます。できるだけポジティブに、前向きに捉えようと日々過ごしていますが、限界があります。コロナ疲れとでも表現したら良いのでしょうか?最近、気分が落ち込むことが増えてきました…。

 コロナ疲れも濃度の差はあれ、誰もが感じているのではないかと思います。私の場合、ネット上も含め色々な場での行動・発言を監視されている感じ、行動が制限され、自粛することが当たり前、自粛しないことは悪という同調圧、ネットから流れ込んでくる情報の変質に疲れているのかもしれません…。

コロナ禍

  ところでこの、 “コロナ禍” と言う言葉。最近ニュースで初めて触れた言葉です。この「禍」という文字、調べてみると、訓読みで「わざわい、まが」音読みで「か」と読み、よろこばしくない事柄、不幸をひきおこす原因、災難という意味で使われるそうです。反対語は福だとのこと…。

 そして、「禍福は糾える縄の如し」(かふくはあざなえるなわのごとし)という故事成語も目に入ってきました。これは、人生をより合わさった縄にたとえて、幸福と不幸は変転するものだという意味だそうです。 不幸を嘆いていると、いつの間にか幸福となり、幸福を喜んでいると、また不幸になる、ちょうどそれは「より合わせた縄のように表裏が交互にやってくる」ということを表しています。

 なにか成り行きに任せるといったニュアンスを感じるのですが、 “コロナ禍” と言う不幸に対して、幸福を引き寄せる方法があるはずです。そして、多くの人がその努力をしているのではないでしょうか?待っていれば、やり過ごせば元の日常が戻ってくるはず…。そう考えるのは楽天的すぎるような気がします。

時代が変えられる

 この “コロナ禍” は、単なる感染症の流行というだけでなく、確実に時代を変えました。正確にはまだ転換期にある(と思われる)ので、 “コロナ禍” は、時代を変えると表現した方が良いでしょう。もしくは、 “コロナ禍” によって、時代は変えられたと表現する方が適当でしょうか?それはわかりません…。

 私たちは、これまで小学生、中学生、高校生、専門学校や大学の学生と研修を通じて関わってきました。 “コロナ禍” によって、新学期が始まってもなお、学校に行けていない子どもたちや学生がたくさんいます。

 そもそも当初の予定通り、ゴールデンウィーク明けの5月6日に、緊急事態宣言が解かれるのか?と言う心配があります。すでにそれ以降に行われる予定だった運動部の大会や文化部のコンクールのようなものの中止が決まっています。それによって、すでに引退が決まった子どもたちや学生がいるのです。

 学校が唯一の学習の場、部活が唯一のスポーツや文化活動の場、読書一つにしたって図書館が唯一の場、機会、パソコンに触れられるのも学校だけという子ども達、学生はたくさんいると思います。「家庭」が安らぎの場ではないという子ども達、学生もいるでしょう。教育より命の方が大切と、“私” は考えていません。教育、学習は生きることと同義です。そもそも天秤にかけられません。

 オンライン学習?それを受けられる環境が整えられるのか?そもそもその情報にたどり着くことができるのか?認めたくはありませんが、教育や学習には、地域格差、経済格差は確実に存在します。 “コロナ禍” でその格差はドンドンと広がっていっているような気がします。

心構え

 「春休みがちょっと長くなっただけ」とか「夏休みに遅れを取り返せば良い」なんてことを言う人がたくさんいますが、私は深刻にこの状況を捉えています。子どもたちや学生の一年は、大人の一年とは比べ物にならない重み、彩、影響があります。(個人的には、9月から新年度を始めるきっかけになるのではないか、9月から新しい学年をスタートしたらいいのにと思っています…その議論が再燃され、加速していくことを期待しています。)

 当事者である子どもたちや学生が、この状況をどう捉えているかはわかりません。もしかしたら、私なんかよりずっとポジティブに時代の変化を捉え、バチっと気持ちを切り替えて、前を向いているかもしれません。後々、コロナ世代とかと呼ばれ、ポジティブなワードとして語り継がれていくかもしれません。

 しかし、世の中のどんよりとした感じ、漂っている不安感、ギスギスした感じ、飛び交う辛辣な言葉などから想像すると、仕方がないという諦めだったり、運が悪かったという他責だったりの癖が着いてしまうのではないかということを勝手に心配しています。

 自戒の念を込めて…(この言葉を自分の発言に責任を取らないための免罪符的に使うな!という論調が、この “コロナ禍” で出てきましたが、私はそのようには使っていません。)そうならないために何ができるのか?もがき、行動し、情報発信することが教育、研修、学習に関わっている者として、地域社会の構成員として、大人として大切なのだと思います。それを肝に銘じ前を向いて生きていきましょう!

  “コロナ禍” の真っ只中、現時点で言えることは、パソコンやスマホは “家電” “生活必需品” になったということ、インターネットは、電気や水道のような “生活インフラ” になったということ。だから、もっと安価に、もっと手軽に使えるようにならなければいけない。そして、それを幸せになるため、人生を豊かにするための手段として活用するために、その恩恵を受けられるようになるためにも “教育” は、生きると同義だということ…。

この記事を書いた人

鈴木 浩之(Hiroyuki,SUZUKI)
有限会社エッセンシャルエデュケーションセンター Sales&Promotion担当マネージャー。
大学卒業後、世界的冒険教育機関であるOBSの指導者コースJALT受講、その後、OBSインストラクターへ。OEC、国立青少年教育振興機構、市議会議員等を経て現在に至る。1971年静岡県出身。

コメント

タイトルとURLをコピーしました