“普通”ほど分からないものはない

2019.12.12

お知らせ

 先日『エマジェネティックス ®︎』研修を見学していて思ったことをブログにしたいと思います。(エマジェネティックス ®︎については、コチラからcheck!)

言葉の力

 コミュ力(Komyuryoku)・コミュ障(Komyusyou)、みなさんも一度は耳にした事(目にした事)があると思います。

 では聞きます。「コミュニケーション能力が高い(低い)って具体的にどういうことですか?」

 私が初めてこの言葉を耳にしたのは数年前、高校生の自己紹介でした。「〇〇(名前)です。自己PRは…特にないです。…あ、コミュ障です。」私的にはなかなか強烈な言い回しだったので、何だか、気持ちがザワッとしたのを覚えています。

イメージの刷り込み

 明るい人、友達が多い人、誰とでも仲良くなれる人、輪の中心にいる人、発言が多い人。

 暗い人、友達が少ない人、新しい関係性を築くのが苦手な人、輪の外にいる人、発言が少ない人。

 おそらく前者がコミュニケーション能力が高い人、後者がコミュニケーション能力が低い人のイメージではないですか?そして後者のことを、「かわいそう」、「仲間に入れてあげないと」、「発言が少ないから促してあげないと」と『〜してあげないと』と思っていませんか?また同僚や部下が後者だと、「発言してこなくて物足りないな」、「積極性がないな」と思ったことはありませんか? 本当にそうでしょうか?

 私は、自分自身は後者だと思います。EG的には『左・左・左』で表出されるものは少ない方です。目に見えている姿とは違い、他者には見えない私の内面は、話していなくても楽しんでいるし、輪の中に入っていない方が心地良く、私としてはそれでOKなのです。勝手に「かわいそう」とか「コミュニケーション能力低い人」とか決めつけたり評価しないで欲しいなと思います。

どこで刷り込まれるのか?

 さて、そのイメージはいつどこで刷り込まれるのでしょうか?私は学校の“横並び教育”や“決めつけ”の影響ではないかと感じています。数年前、兵庫県の自然学校と部分的に関わっていた時、「各班にリーダーを配置しているので、大丈夫ですよ」とか「この班にはリーダーがいなくて心配で」とかよく耳にしました。

 色々話を伺うと、先生的には『積極的でコミュニケーション力が高い子。具体的には、発言できる子、いろいろな子と関われる子、みんなをまとめる子』そんな子をリーダーと言っているようでした。

 他の現場でも先生側がそのような子をあからさまに頼る場面を見ます。子どもたちに直接言っていなくても、子どもは “大人の意図” を敏感に感じていると思います。

 これでは無意識に、リーダーとは…、コミュニケーション能力が高い人とは…『こうあるべき!』と刷り込まれてしまうと思いませんか?そして、自分がそうでなければ「コミュ障」、「ダメ」だと思ってしまうと思います。

真の多様性を

 やはり“学校”は、人に大きな影響を与える場だなと改めて思います。そして大きな可能性を与えられる場だなとも思います。

 そこで重大な責任を握っている現場の先生方には、もっともっと対価を、そして現場に立てるまでの道のりを険しいものにすべきだな〜と思います。

 そんなことを実現するために私には何ができるだろう…と考えています。…このブログを書き始めた時には想像していなかった着地を迎えました。黄色いですね。笑

『エッセンシャルエデュケーション(教育)の力で世界をhappyに!』

投稿者プロフィール

副島理恵子
副島理恵子
EE事業部ディレクター

大学在学中は、社会福祉の分野を専攻しながら、野外教育の指導ボランティアを経験。大学卒業後、本格的に野外教育の世界へ。

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