ソーシャルディスタンスを超えて

 前回のブログ『オンラインではどうしても辿り着けないところ』で、なぜ、私たちが “体験” にこだわってきたのか、身体性という視点でふりかえってみました。今回も、“体験” の意味を考えていきたいと思います。

“夢” について思うこと

 “夢” という言葉。卒業文集なんかに書く「将来、こんなことしたい!」「こんな風になりたい!」という目標、将来への願望を “夢” と呼ぶときがあります。また、寝ているときにあたかも現実の経験のように感じるイメージも “夢” と呼びます。

 今回は、後者の “夢” について感じたことです。朝起きたとき “夢” でみていたことを覚えている時と、「夢をみていた」という感覚は残っているが、中身は覚えていないという時があります。

 夢の内容を「思い出せる」時、「思い出せない」時に何か違いはあるのか?最近は「夢をみていた」という感覚だけが残りますが、内容については思い出せないことが多くなった気がします。

 私の場合は、夢の中で、焦っている、気を揉んでいる、落ち込んでいる…などどちらかというとネガティブな感覚だけが、鮮明に残っていることが多くなっています。

 そんな “夢” は大抵の場合、何か気になっていること、気を揉んでいることが現実にあり、それを “夢” の中でシュミレーションしているような感覚です。“夢” から覚めた時、「夢でよかった」と思うことが多く、“夢” がいわゆるガス抜きになっているのかもしれません。

(あくまで最近の私の場合ですが…)“夢” から覚めた時に「夢でよかった」と感じるのは、“夢” と “現実” にギャップがあるからです。

 あんなこと起こるわけがない、あんな風になるわけがないということを、イメージするのではなく、強制的に体験させられるという意味で、“夢” もある意味、身体性を伴った “体験” だと考えられます。

VRの進歩

 新型コロナウイルスへの感染を防止するためにとるべき人との距離、または人との距離をとることを意味する “ソーシャルディスタンス” という言葉が誕生し、定着しつつあります。

 そこで注目されているのが、VR(Virtual Reality)の技術です。例えば、いくら距離が離れていても、面と向かって話しているような感覚で誰かとおしゃべりができたり、自分の部屋にいながら、世界の隅々まで旅行できたり、“ソーシャルディスタンス” を全く気にしなくても良い世界が、デジタル技術によって展開されます。

 現時点で、どこまで現実の再現ができるかはよくわかりませんが、みる(視覚)、きく(聴覚)に関わる部分は、結構な割合で再現できているのではないでしょうか?

 将来的には、匂いであったり、温度感であったり、触れた感覚であったりが再現されていくのでしょう。仮想現実と現実の距離がどんどん縮んでいく、仮想現実と現実の境目がどんどん薄れていくのだと思います。

 技術は、基本的に人の幸せ、生活の質向上に使われるものです。VR技術が進歩して、疑似体験(疑似的にしか体験できなかったこと)が、実体験に近づいていくのは、素晴らしいことです。

ソーシャルディスタンス

 ここまで “夢” とVRについて、ダラダラと書いてきました。最後にまとめとして…

 前回のブログでは、“体験” の意味として、その「身体性」に注目して考えてみました。今回は、その「身体性」が再現されれば、オンラインでも、VRでも疑似的なものが、いわゆる “リアル” にとって代わることができるのか?を考えようと思いました。

 “夢” について書いたのは、ブログの〆切が迫っている、何を書こうか思案しながら寝たときにみた“夢”、その “夢” から覚めた時に残った感覚が、とてもリアルだったので、夢の中での体験を “身体性” という視点で考えてみようと思ったからでした。

 結論としては、“夢” をみる、みないを含め、コントロールできないことは、“体験” を強いられているのと変わらない。私たちが、研修で「これやりましょう」と提供している “体験” と近いものがあるという感覚です。

 “夢” の中で起こること自体は、現実離れしていますが、そこで感じたことは、結構なリアリティで迫ってきます。非日常の(ある程度)強制された “体験” は、自分自身の内面に目を向ける、考える上で優位であると思いました。 

 オフラインでの “体験” を研修や教育で使っていた私たちとしては、“ソーシャルディスタンス” という、社会的・人的な距離の確保が “障壁” として立ちはだかっています。その壁をどう乗り越えていくのかが、現在の関心事でもあります。

 withコロナ(新規感染症がいつ流行してもおかしくない)時代とも言われています。感染症予防という視点は、この障壁の内側、社会活動の多くはその外側に位置します。“ソーシャルディスタンス” を課題に感じている者同士、協力して新しい価値を創造していきたいと強く思います。

 その為にも、オフラインでの “体験” を教育・研修で手段として使っている私たちとしては、“体験”  の意味、優位性を言語化、視覚化していかなければなりません。

 先日、社内でのweb会議でそのことが話題になりました。私たち自身、その特性によるところも大きいのですが、抽象的にしか理解していない、これでは伝わらない、“ソーシャルディスタンス” という障壁を超えられないと感じています。

 “ソーシャルディスタンス” 以前に、ソーシャルコミュニケーション?について、障壁を自ら築いていたのでしょう。

…と、自らの立ち位置、課題が明らかになったところで今回の記事は閉じたいと思います。このブログを、有効なソーシャルコミュニケーションツールに育てていくことを決意しながら。

この記事を書いた人

鈴木 浩之(Hiroyuki,SUZUKI)
有限会社エッセンシャルエデュケーションセンター Sales&Promotion担当マネージャー。
大学卒業後、世界的冒険教育機関であるOBSの指導者コースJALT受講、その後、OBSインストラクターへ。OEC、国立青少年教育振興機構、市議会議員等を経て現在に至る。1971年静岡県出身。

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